ALL JA CONTEST
          参戦記
主催 : 
後援 : 
日時 : 2001年 4月28日〜29日 
原稿 JE1RRK 青梅市 山崎喜久雄

 自己評価
 ハイバンドの得点は若干向上したがローバンドの後退が大きく、総合的には昨年より13k点減少した。
休息時間は昨年の方が1時間多い事から能動的条件は昨年と大差無いが,ローバンドのCONDX低下が得点減に影響したと勝手に推測する。

 3R5
 昨年の短縮DPから今年はフルサイズDPへ向上を図った。
局数は15増加したが、マルチは6減少した。
シングルバンドの得点換算でも174点後退をしており狙いと反対の結果になった。

 
 考えられる要因は張る方向が昨年と45度異なる。
昨年と同じDPだが、90局4マルチの大幅後退。
指向性は元より控えめなので、CONDX低下と考える。

 14
 昨年はヘンテナで今年はDP。
しかもそのDPが干渉し、呼びに回るしかない事から後退を余儀なくされ21局8マルチ減。
それでも21や28と大差が無いのが僅かな救い。

 21・28・50
 これは昨年と全て同じ条件だが,21は14局2マルチ、28は10局1マルチ、50は49局2マルチ今年の方がいずれも多い。
ローバンドで冴えない分、こちらの時間配分が増えた。

 【2001年結果】
 バンド  交信局数  得点  マルチ
 3.5 MHz   124    124    32
  7 MHz   198    198    44
 14 MHz    82     82    28
 21 MHz    88     88    22
 28 MHz    69     69    16
 50 MHz   143     143    16
合 計 704  704 × 158 = 111232

 【2000年結果:参考比較】
 バンド  交信局数  得点  マルチ
 3.5 MHz   109    109     38
  7 MHz   288    288     48
 14 MHz   103    103     36
 21 MHz    74     74     20
 28 MHz    59     59     15
 50 MHz    94     94     14
合 計 727  727 × 171 = 124317

 気分を切り替え
 4月28日から連休だがコマーシャルの状況は依然険しく,出勤の人も多い。
自分もその1員だが、核心では無い事から用が有ればどこに居ても連絡は有ると判断し、予定通りALL−JAに出かける事とした。

 初の遠乗り
 昨年末に車を変えて以来、遠乗りは初めてだ。
圏央道→関越道→信越道を通り、下仁田ICで降りて多野郡のみかぼ林道に入る。
雨の後は落石や土砂崩れで、夏場は通行止めを何回も経験したが、今回は春なので事前に町役場に確認無しで出発。
途中には落石が多数有ったが,通行には支障ない。
北側の日陰にはまだ雪の塊がある。午前10時に無事到着。初の遠乗りだったが,気を使う事を忘れていた。
それより稜線に出る頃から車内はガソリンの匂いが充満。
発電機のCAPが甘い様で気圧が下がり漏れ出ていた。

 DP
 今回は3R5・7・14はいずれもフルサイズDPとし、1本のポールから出す。
DPの両端を延長し固定する紐が4本しか無い事に気付いたがもう遅い。
ステーロープを4本ステーから3本ステーに節約し、これを回す事にした。
DPは絵で書くと簡単だが,実は難しい。
校庭なら簡単だろうが,3R5で40mを確保する為に、僅かな更地から立ち上がる熊笹の斜面を掻き分け、樹木を越えて張る。
絡んではほぐし,強引に引くと切れる。
斜面の登り降りだけでも一苦労。
周波数にもよるが、八木はその場で作業が出来るので楽だ。

 丸型Mジャックは禁止
 14DPは同軸ケーブルとの繋ぎに丸型Mジャックを使用していた。
角型は4隅をビスで止めるので回る事は無いが,丸型は同軸ケーブルを締めこむ力で回りだし芯線を切ってしまった。
丸ジャックを閉め付けるナットの締めが甘いのが原因だが,そんな分析をするより善後策を考えねばならない。
思い付いたのは同軸ケーブルを裂いて直接分岐させる方法で,今回はこれでいく。

 CQ
 21/28は毎回お馴染みの1エレCQ。
現用の傘骨は2代目で2mの細木を3本繋ぎで6m弱に伸ばす。
上げる時に前後左右を見ながら引っ掛かけない注意を要す事を忘れて、上げた拍子に横骨が折れた。
1代目は縦骨を折った経験が有るが,又してもだ。下ろして、予備の細木を針金で巻く応急処置を施し再度上げた。

 50
 NAGARAの7エレ八木だが,昨年の6&D以来の登場。
マッチングBOXの取り付けがブラブラだ。ネジを全て外したが,分離出来ないので,金具を曲げてネジを締め直した。

 SWR
 6時間を要したアンテナ上げ作業が報われる否かはSWR測定で決まる。
リグのセットも小一時間は要するので,まずはその前にアナライザーで概要を測定する。
14は干渉しておりSWR=1.8でフラット、他は全て良好。
もうこれ以上動く元気は無いので,14は運に任せる。

 開始前のラグチュー
 午後8時に目覚ましで起きる。
午後6時頃から約2時間後ろで寝袋に入り休んでいた。
50.280SSBで仲間がラグチューしているので参加。
MICのテストをリポートしたが、音色が高くGAINが有り軽量な条件は結構難しい。
これが有ればヘッドセットが出来、両手が空いてキーインが楽になる。

 開始
 開始は50Mhzとし、ビームは東京とした。
事前に50.490の世田谷ビーコンで方向は確認済み。
開始直前からVVVを出して、午後9時にCQに切り替える。
それでCALLが無いと愕然とし、有れば緊張の一瞬を迎える。
今回は1局CALL有り。
以降はそれなりに呼ばれて40分頃から1分以上を常に待つ様になったので、QSYのタイミングを図る。

 14DPの結果は
 50→28→21→14とQSY−DOWNを繰り返し、14の順番が来た。
干渉がどう言う結果になるのか不安だが、まずはCQに対してCALLを試す。
結果は応答率が約半分だ。強いCQは即応答が有るが,弱いCQでは?又は無反応で寂しい限りだ。

 
満員寿司詰めだ。
100hzのBPFで楽に聞き分けれるが、所々ではからみ合って周波数確保に凌ぎを削っている。
局間は200〜300Hzで1Kcに3〜5局が運用している。
それら局の谷間でもSが9+30〜40dbでCONTEST周波数全域がうなっている。
それだけに芯を外すと取れず,各局はキーイング速度を落とし、CALLする局に注意を払っている。
これは高速道路と同じ理屈の様で、空けば信号がクリヤーになり、キーイング速度を上るのだろう。

 寒い
昼間は好天で、6時間の野良仕事で、顔が焼けた。
標高1000mの山は春が浅く、夜は冷え込む。
冬場の移動で効果抜群のホカロンが一つしか無い。これを最も必要な腰にいれてもう少し粘る。

 深夜0時
 0時を過ぎる頃からローバンドは開始当初と比べて確かに空いて来た。
自分にもCQを出す場所を見出せる程に。
しかし長続きする事無くかぶせられて又次の周波数を探す運命になる。
これは430のFMと似ている。
430で山から電波を出すとやがて『ここは**の周波数だ』とのクレームを受けて退散し、次へシフトする如くだ。

 第1幕
 50歳を過ぎてからは徹夜は出来ないと悟っている。
翌日は頭痛で寝込むのがおちで、無理せず午前2時半でしっかり寝袋に入る。
2日目の朝は6時に起床した。
発電機が気がかりな一つで、やはりすぐにはかからない。フルチョークは駄目で半チョークでOK。

 第2幕
 開始は3R5からだが、早朝の出勤は電車も空いている様に、今日は足元が見える。
昨日は59+30からどれだけSが下がるかで隙間を判断したが、今日はSがどれだけ振れているかで判断した。
7Mhzは1エリアだけで、広がりを見せるのは陽が上り始めてからの様だ。
それともCONDXが悪いのか?

 CONDX
 昼までには各BANDを一巡したが,CONDXは落ちていると思う。
特に21や28で2エリアはQSO出来ても3エリアとのQSOが出来ない。
八木なら一発と思うが、?ならまだしも、全く気にも止めて貰えない。これではマルチは増えない。
7方面も同じで、こちらは弱いながらもハッキリ確認出来ているだけにグヤシ〜。
14はお呼びで無い場面もしばしばだが、電離層反射だけは普通の様で、6エリアからは応答が有った。

 睡魔
 午前中は気にならなかったが、昼食後から睡魔が襲って来た。
過去は同じ3時間程度の睡眠でも、半分起きて目をつむっている状態が多い事から朝10時頃には睡魔が来たが,今日は珍しく夢も見ない程に寝た分睡魔が遅刻。
CQを回すが呼ばれないとついまぶたが閉じる。CALLで目を開けても焦点が合わない。

 
 夕方から雨が降りだしたが,窓には蚊の仲間が蛍光灯に引かれて集まって来た。
昨晩は晴天で冷え込んだ分、蚊はいなかった。雨で冷え込みは緩み,今日はホカロンが無くても寒くない。
次の遠征からは蚊よけに蚊取り用具を積む事。

 ラストスパート
 夜に入り残り時間が少なくなるにつれ、もう少しとの気力から昼間の疲れはいつしか気にならなくなった。
午後4時頃から3R5で昼間の不稼動分を穴埋めし、最後は7Mhzで終演を飾った? 午後8時頃から7Mhzにシフトしたが、偶然に空き周波数が見つかりそこで少しランニング。
終了5分前頃には体制も判明するからか、早めに潮が引く事に気が付いた。

 撤収
 外は雨で撤収は不可能、翌朝まで寝て待つ。
午後9時半から寝袋に入ったが雨音に混じり外で人の気配がするが、ここは寝るしかないと決め込む。
一人の山は辛い。
いつしか寝込み、気が付けば午前6時前だ。
直ぐに起きて、まずは車内を片つけ、雨合羽を着て長靴を履き、雨の中で撤収を開始。
夏場は合羽の中が自分の汗でグチャグチャになるのだが、今の時期はそれは無い。

 退散
4時間の雨中作業で全てを終演する事が出来た。
遅い朝食を食べながら車窓から下界の霧の動きを眺め、しばし山水画の中で瞑想と言いたいが,頭は次のCONTESTを考えている。

 
ご意見、ご感想、ご質問等有りましたらお願いいたします。je1rrk@cqjapan.com 山崎
編集者 JR1CLL  RRK トップページに戻る